2009年1月アーカイブ
2009年1月26日
がんばって子供を見守る
>子を持つ親の気持ちがあなたにどれほどわかるのか。私は少し分かる気がします。
そりゃわかりゃしませんよ。
あなたは「子を持つ親の気持ち」と一括りにしているけれど、結局のところそれは「この"私"の気持ちがわかるのか」ということでしょう? そんなもの僕にわかるわけがない。あなたのことはまるで何も知らないんだから。(「無責任」のススメ /旅空日記)
子供相手の惨い事件とか耳にすると、「自分の子供がそんな目に遭ったら・・・」みたいに重ね合わせてバーチャルな心配が頭をもたげます。
小さい子供(ウチは5歳と1歳)は本当に目が離せないですし、ふいにとんでもないことをやりだすので心配がつきないです。
あとで考えると、きっと子供は自分で解決できた、あるいは解決はできなかったけどいい経験になったかもしれないのに、手を差し伸べる衝動に負けてしまうことも多々あります。
親というのは、多分昔から心配性で、しかも子供よりもリスクが早めに予測できます。
だからついつい先回りして危ないものから遠ざけようとしてしまうのだけれど、でもそこはがんばって見守ってやらなきゃあならないんじゃないかなと。
今は学校じゃ先生は殴らないし、川で遊ばせようにも河原なんて少なくなって川端はコンクリートに覆われてフェンスが張り巡らせてあったりする。
公園も遊具で子供が大怪我すりゃ全国ニュースでメーカーや管理者(自治体とか)を追求するのでスリリングな遊具はどんどんなくなっていく。
でも、周りが先回りして危ないものから遠ざければ遠ざけるほど、子供が自分で危険を感じる能力は失われていく。
これは間違いないです。
子供の遊び心と体力低下
本当に治安は悪化しているのでしょうか? 僕らの子供時代と比べて、本当に子供を狙う犯罪が増えているんでしょうか? そこに定量的なデーターの裏付けは あるのでしょうか? もしないのだとしたら、それはメディアを通して語られる犯罪情報の量に左右された「思い込み」なのではないでしょうか?
実際、僕らが子供だった頃にも「変な人」はいました。痴漢も誘拐犯もいたし、性犯罪者もいた。でも今ほど話題にはならなかったのです。そういう「変な人」は社会に少数ではあるけれど含まれていて、でも滅多には遭遇しないという暗黙の了解があったのだと思います。
私が子供の頃は、「変な人」どころか、今の子供らには信じられないだろうけど、フツーに暴力振るう先生がいました
私はあまり素行が良くなかったのか小学校の頃から殴られたり、蹴られたり、ビンタされたりといったことがあったのを記憶しています。
一番衝撃的だったのは、運動会の鼓笛の全校練習中にあった事件です。
朝礼台の上で式を取っていたN先生が突然走り出して、こちらに向かって走ってきます。
「何だろう?」と思っていたら、どんどん私の方へ走ってきて(!)、私のケツを蹴り上げて、また式を取りに戻っていった事件です。
全校生徒の前で蹴り上げられたので、ケツが痛かったよりもバツが悪かった方が大きかったです。
よっぽど悪く見えたんでしょう。
でも、今になって振り返ってみると、いろんなことは全部が無駄だった訳じゃない。
世の中には危険な人間がいて、子供相手に我を忘れて殴る人間(先生だったけど・・・)がいて、そういう人間が我を忘れる危険なスイッチというか兆候というか、そんなものを学ばせてもらってた気がする。
ずいぶん痛いおもいしたけど。
だけど今の学校や公園みたいに、消毒されちゃったような環境だと、学校の外にいる(or ある)もっと遥かに危険な人間や状況を嗅ぎ分ける能力はたぶん備わらない。
もちろん理想を言えば、危険な人間や環境はない方がいいだろうし、そういう社会を目指すべきでしょう。
でも現実には危険な人物や状況は存在し続ける。
すぐそこの通りにもいるかも知れないし、就職した会社にもいるかもしれない。
巡回に来た警察官が危険かもしれないし、今まではとてもいい人だったのが、ある時危険な人間に変わるかもしれない。危険な人物と気づかずに結婚しちゃう人だっていたりする。
これは人間に限ったことじゃなくて、それこそあらゆることに言えることで、世の中の全部のリスクから逃れることはできない。
だからってリスクが全くない状況(そんなもの本当はないんですが)に子供を隔離し続けるのは子供からリスクの匂いを感じる能力を奪うだけです。
危険は"感じる"しかない。
もっと言っちゃえば、人間一人とっても、その中に素晴らしいものと危険なものを併せ持っていたりすることもよくあります。
またそういう人物が魅力的だったり、出世しちゃったりしちゃうことなんてあったりもします。
危険とはつきあっていくほかないし、危険とのつきあい方を子供は程々危険に遊びながら学んでいくんだと思います。
僕には子供はいないけれど、僕だってかつては子供だったし、旅先でたくさんの子供たちを見てきました。これはそのような一旅人からの意見です。もしかした ら、今の日本人の考え方の主流とはずれているのかもしれない。たぶんずれているでしょう。でも少しはそういう意見があっていいと思う。
う〜ん、私の考え方もずれてるかもしれない。
ウチは5人兄弟の母子家庭だったので、朝起きたときすでに親がいない、寝るときも親はまだ帰ってきてないなんてこともフツーだった。
でも5人とも元気に育ってる。
立派にとはいえないけど・・・。
2009年1月25日
「ねえ、あなた、下着くらいは自分で買いましょう・・」?
金融崩壊だの、オバマ大統領だの話題は巷じゃ豊富なのにドメスティックな話題です。
別に夫婦仲が怪しいのでこんなジャンルの記事読んでた訳じゃありません。
たまたまですよ、いや、ほんとに。
夫婦仲がよくなる習慣:夫のパンツ編私はまずほとんど自分でパンツを買いません。
出張から帰った夫の洗濯をしていたら、夫が選ばないような下着が入ってました。
夫に尋ねると、それは夫の母が買ってきたとのことでした。
30代も後半になって母が買ってきたパンツをはきますか?義母もいつまで息子にパンツ買ってくるんでしょう?
海外とか行くときに現地調達する時くらいです。
バックパックにPCとSIMアンロックした3G携帯と財布くらいで行っちゃうんですが、パンツはさすがに換えたいので現地で買うことが多いです・・・。
ウチの親方(母のことですが、なぜか当家では母は"親方"です)はもう長いことパンツなんか買ってくれません。
買ってくれっていったら「なんであたしが?」とか流されそうです。
カミサンは時々買ってくれます。
なぜか持ちパンが無くなっていくので、残り少なくなって「ローテーションが苦しい」と自己申告すると買ってきてくれます。
なぜパンツが減るのかは自分でも分かりません。
基本的に脱ぐ場所は自宅とかカミサンの実家くらいですし、外で脱いでパンツ履かずに帰ってくることはないと思うので、謎です。
世の中にパンツなんかなければいい、葉っぱで十分じゃないかと思うのですが、あるものはしょうがないので履いてます。
履いてないとヘンな人とか思われても面倒だし。
そこで気になったのが、男性は自分のパンツは自分でいつから買うんだろう?そうなんですか・・・自分も結婚前までは親方が買ってきてくれていました。
ということです。
男友達に尋ねたところ、結婚前まで母が買ってたという人が多いようなので夫を男として見られなくなりそうです。
結婚後だって別に問題ないと思うのですが、男として見られなくなっちゃうほどの大問題なのかどうか?このあたりは後でカミサンに調査してみよう。
最近20代くらいの若い男性から下着もオシャレにという感覚が少しずつ定着しつつあります。定着?そうなんしょうか?
自分の若い頃も、こだわってるやつはごく稀にいましたが殆どのヤローはなんだっていい感じでした。
Birds of a feather flock together.(類は友を呼ぶ?)
今の私の知ってる20代も同じような感じなんですが。
いっそのことフンドシとか流行らないでしょうかね?
その方が海外とか言ったとき外人相手のネタで使えそうです。
・・・って自分で言っときながら、どんなシチュエーションで外人にフンドシ魅せるのか?ビーチ?とか考えて一人笑いしちゃいました。
海外であんなの出したら変態だな。。。
それにあれ動きにくそうだし・・・とかなんとか、まとまらなくなってきたのでこの辺で。
2009年1月20日
suでスーパーユーザーなのに[command not found]
日々の生活の中で、よくやることなのにふと考えると「これって無駄じゃね?」とか思うことってありませんか?
サーバーを管理するときにSSHという接続を使ってログオン後に
と打って"rootへスイッチ"するんです。
「su -」はサーバー管理する人間には「おはようの挨拶」みたいなものなのですが、ふと「-(ハイフン)って必要なのか?」と思いました。
長いこと使ってるツール(コマンド)なのに、当たり前すぎて意味について考えたことが無かったのです。
で、やってみたらハイフンなしでもrootへスイッチできました。
「なんだハイフンなくてもrootにスイッチできるじゃないか。もしかして今まで何万回(もっと?)と打ってきた-(ハイフン)は無駄だったのか?」
と思ったのですが、いろんな作業で「command not found(そんな作業コマンドはねぇ)」と言われてしまいます。
で、ちょっとググってみたら
サーバーを管理するときにSSHという接続を使ってログオン後に
su -
と打って"rootへスイッチ"するんです。
「su -」はサーバー管理する人間には「おはようの挨拶」みたいなものなのですが、ふと「-(ハイフン)って必要なのか?」と思いました。
長いこと使ってるツール(コマンド)なのに、当たり前すぎて意味について考えたことが無かったのです。
で、やってみたらハイフンなしでもrootへスイッチできました。
「なんだハイフンなくてもrootにスイッチできるじゃないか。もしかして今まで何万回(もっと?)と打ってきた-(ハイフン)は無駄だったのか?」
と思ったのですが、いろんな作業で「command not found(そんな作業コマンドはねぇ)」と言われてしまいます。
で、ちょっとググってみたら
「su」でスーパーユーザーになったのに,コマンドを実行すると「command not found」と表示されてしまう
一般ユーザーのPATHに指定されるディレクトリの数は,root(スーパーユーザー)に比べて少なくなっています。rootのPATHには/sbinや /usr/sbinも設定されているため,コマンド名だけですべてのコマンドを実行できます。suコマンドでroot権限に変わるときに,「-」オプションを付けると環境変数はrootのものになります。
-(ハイフン)はやっぱり必要だったのねん。。。
今まで何万回と打ってきた-(ハイフン)は無駄では無かった・・・というお話でした。
2009年1月15日
フェラーリF60発表
今年のフェラーリF60が発表になっています。

レギュレーション変更で厳しいシルエットになるのは覚悟していましたが・・・
このシルエットはチョロQ?
個人的には、昨今のマシンにあったハリネズミみたいだったたくさんの小さなフィンがなくなったことと、スリックタイヤの復活が嬉しいです。
やっぱりレーシングカーはスリックが似合う。
しかし・・・長いことF1見てきて、こんなに格好悪いシルエットは初めてだ・・・。
特に幅の狭いリアウィングは・・・
今年は後続車が追い抜きをしやすいようにタービュランス(乱気流)を発生しにくい方向でレギュレーションに規約されました。
ですので仕方ないっちゃあ仕方ないんですが。。。
一転、車幅一杯まで広がったフロントウィングは、ドライバーがなれるまで脱落事故が多そうです。
でもフォーミュラカーならではの後続車のフロントタイヤと先行車のリアタイヤが接触して乗り上げるような事故は減りそうです。
いずれにしても・・・慣れ?ですかね?
見慣れりゃあこれはこれで・・・よくなるのか???




レギュレーション変更で厳しいシルエットになるのは覚悟していましたが・・・
このシルエットはチョロQ?
個人的には、昨今のマシンにあったハリネズミみたいだったたくさんの小さなフィンがなくなったことと、スリックタイヤの復活が嬉しいです。
やっぱりレーシングカーはスリックが似合う。
しかし・・・長いことF1見てきて、こんなに格好悪いシルエットは初めてだ・・・。
特に幅の狭いリアウィングは・・・
今年は後続車が追い抜きをしやすいようにタービュランス(乱気流)を発生しにくい方向でレギュレーションに規約されました。
ですので仕方ないっちゃあ仕方ないんですが。。。
一転、車幅一杯まで広がったフロントウィングは、ドライバーがなれるまで脱落事故が多そうです。
でもフォーミュラカーならではの後続車のフロントタイヤと先行車のリアタイヤが接触して乗り上げるような事故は減りそうです。
いずれにしても・・・慣れ?ですかね?
見慣れりゃあこれはこれで・・・よくなるのか???



走行動画:フェラーリF60 フェリペ・マッサ 2009年01月12日 ムジェロ
2009年1月12日
★CHEチェ 28歳の革命
レイトショーで「★CHEチェ 28歳の革命」を見てきました。
まだ始まったばかりですので詳細に触れるのは避けますが、印象的でした。
今まで世界最高の"自由"とは欧米製だと教えられ、その自由を受け入れない国には無理矢理押し付けようとさえしてきたのがアメリカだった。
でも昨今の金融崩壊によってそのモデルが崩壊したのではないか・・・などと今の世界情勢とシンクロしてより印象深かったです。
映画を創るのはプランニングから制作から封切りまではそれこそ何年もかかるでしょうし、昨年の金融崩壊とはたまたまシンクロしたものと思います。
あるいは自分が勝手にそう感じただけかもしれない。
それにしても、劇中で読み上げられるゲバラの日記の一言一言が印象深かった。
一例だけ挙げますが、ゲバラは農民出身の兵士達にも読み書きを勉強させます。
「読み書きができない人間は簡単に騙される。」
きちんと自分で理解して、自分で判断しろと。
キューバにはキューバの自由があり、それぞれの国にはそれぞれの自由がある。
実は自由とは多様でいろんな形があるはず。
なのに今まで一つの自由の形だけを追いかけ続けたモデルが昨年"崩壊"したように思えました。
これから日本は日本の自由の形を探さなくちゃならないし、中国も北朝鮮だって、イラクだって、その国の人たちなりの自由の形を自分たちで見つけなくちゃならない。
外の人間がやるべきことは手伝うこと位までであって、主役になるべきじゃあない。
等々、いろいろと考えさせられた一作でした。
Vol2が楽しみです。
※最近レッドクリフといい、二部作が増えてきた・・・このあたりにはマーケティング臭を感じてしまいますが。
2009年1月 9日
少子高齢化と人口減少
景況悪化についての僕なりの雑感
少子高齢化と人口減少については、地方の限界集落が問題視されていますが、極言すれば、日本中がその限界集落に近づいていっているというのが現状の姿でしょう。加えて言えば、先進国のなかで人口を維持できるだけの合計特殊出生率(2.08)を保っている国はただの一国も存在しません。すべての先進国で少子高齢化が進んでいるのであり、つまりは先進国のすべてが限界集落のようになろうとしているのです。もはや長期的には内需も外需もありません。王様はすっ裸なのです。
そんな中、日本の人口は数年前についに転換点を超え、世界に先駆けて減少に転じました。人口は去年2008年も引き続き減少だそうです。人口が増え続けることを前提として作られていた様々なシステムは、もう終わりなのでしょう。拠出金を負担する人が増え続けることを前提としている年金制度も、納税者や納税額が増え続けることを前提とした国家財政も、需要も供給も増え続けることを前提とした経済システムも、みんなハシゴが外れたのだと思います。
先日、(どこのテレビで誰だったか忘れましたが)政治家と有名人(?)みたいな人たちの話の中で、「少子化の恐ろしさを知るべきだ」みたいな討論がされていました。
方々で少子化対策として「子供を育てやすい社会を」とか「子育て世代の負担減」みたいなフレーズを聞きますし、現に子育て世代な自分としては助かります。
が、個人的には少子化対策は、"出生比率を増やす"という方向よりも"人口が減っていくなかでもうまく回っていく仕組み作り"の方が利にかなっているのではないかなと思っています(それは"少子化対策"と言わないか?)。
上記に引用させていただいたエントリーの通り、私も人口が増え続けていくことを前提とした今の社会の様々な仕組みは、実態として崩壊しているんじゃないかと思います。
今の社会の中枢の人たちが必死になって支えようとして、マネーを注ぎ続けている仕組みは実は終わっていて、新しい仕組みが必要なのだけど、そのモデルがまだ無いから必死でみんな今の仕組みにしがみついている。
人類の拡大と繁栄を目指していく先には食料問題とか、水不足の問題とか、温暖化とか、みんな人口が増え続け、(今の基準で)豊かになることによってもたらされる問題が山積みなわけで。
今世紀末までに世界人口の半数が食糧不足に
気候変動の影響で、今世紀末までに世界人口の半数が食糧不足に直面する――。このように警鐘を鳴らす研究結果が8日、新たに発表された。
これらの様々な問題を解決する一番の方法は私ら人間が減ることで、それを隣の国でやってる変な"間引き"とか、戦争とか、民族浄化みたいな物騒な方法なしで自然に減っていってる先進諸国はやっぱり先進なんじゃないだろうかとか思ったりします。
今の社会みたいに経済成長率が繁栄のバロメーターだと、少子化や人口減は何ひとつ明るい材料をもたらしませんが、そろそろブータンのGNHみたいな違った指標があってもいいんじゃないだろうかとか思ったりします。
最後に、少し逸脱しますが
News - 開けたくもないし、ましてやめでたくもないけど
胸が痛いなんて言葉じゃ全然たりない。
どんな事態になっても、戦争にだけは足突っ込んじゃいけない。
2009年1月 5日
Macで\(バックスラッシュ)の打ち方
「option + ¥」=\
コードを書く時とかに、Windowsでは改行コードを¥nと打ってたわけですが、Macになってから¥nでは改行されない。
でもMacでバックスラッシュってどうやって打つのか?
分からなかったのでググってみましたよと。
φ(*_*) メモ
2009年1月 4日
2009年元旦、初日の出。(九十九里浜にて)
2009年元旦、初日の出を九十九里浜にて見ました。
天気も良く、大変綺麗な初日を見ることができました。
初日の後、少し経ってから、浜辺へ出て行くサーファー達に"寒くないのか?!"と驚きました。
明日から仕事始めです。
皆様、今年もよろしくお願いいたします。